! 必 読 事 項 |
▼ ▼ ▼ ▼ 犬神/如月/京一/龍麻 執筆:ナツ 三人称 スクロールする前に必ず ココ を読んでね。 |
骨董屋店主の疑惑 |
如月翡翠は、中間考査に向けて復習中の教科書から視線だけを上げた。 (まだ、居るのか) カウンターごしに立っている一人の客を見、中ば呆れたように如月はそう思った。 男の外見は三十代後半だろうか。アイロンも満足にあてられていない、かなりくたびれた白衣の背中が、まず目に入る。寝癖も整えられていない髪に無精髭。かすかに漂ってくる男の体臭は、煙草の葉が発する独特のものだった。 とにかく、胡散臭さがぷんぷんしている。 確かに、この如月骨董店を訪れる大半の客は、壷だの皿だの焼物だの、自分の収集グッズ以外は興味のないようなマニアや、あるいはあぶく銭の使い道を探求している内に骨董収集へ辿りついたという海千山千の富豪など、あまりろくなものはいない。 漸くここ最近になって、彼の友人たちがよく訪れてくれるようにはなっていたが、店の収入は上記のような、一歩間違えば変人というカテゴリで括られる人たちが支えているのが事実だった。 言動が一見不審な人間でも、客は客だ。 如月は山と積まれた中古品に埋もれそうになっている窓の外へと眼をやった。 完全に日が沈んだ空には、半円の月がかかっている。 腕時計を確認すると、針は午後九時十分前を示すところだった。 とすると、この男は如月が気付いたときから計算して、約二時間弱も店の中をうろついていたことになる。 「あの、」 と、如月は男に話しかけた。普段は、客から声が掛からない限り空気のように振る舞っているのだが、放っておいたらこのまま何時間でも粘りそうな相手に、この時ばかりは根負けしたのだろう。 「何かお探し物をしていらっしゃるのですか?」 男は、今ようやく如月の存在に気付いたとでもいうような風に、ゆっくりと振り返る。 瞳と眉はやや下がり気味ではあったが、表情には全く愛想がない。満員電車に押し込まれているサラリーマンのような無気力な視線だった。 こう云っては何だが、品物の優劣を見極められる鑑定眼をもつ人間にはとうてい見えない。 掘り出し物はないかと目の色を変えて物色している輩かと思っていた如月は、多少気が抜けた。 「すみませんが、もうすぐ店を閉める時間なんです」 「ん? ああ、これは失礼した」 声は、如月が想像していたよりもだいぶ低く、艶やかな響きを持っていた。 己の非礼を詫びたものの、男は慌てる様子もなく、足元の台に無造作に置かれてある一振の刀に手を掛ける。 かなりの年代もののようで、柄や鞘に装飾は一切ほどこされていない。実用を第一として作られたもらしく、品物帳にも『製作年代不明(平安時代前?)、無銘、状態◎』とだけ印されており、素人目には全く面白味に欠ける代物だった。 だが、男は無言のままそれの鯉口を切り、如月が止める間もなく、すらりと太刀を引き抜く。 一見は日本刀の太刀のようだが、つぶさに鑑賞していくと、その刀は五カ伝で分類出来るような特長を兼ね備えていないことが解る。 「いい刀だ」 独り言のように、男が呟いた。声にはほとんど抑揚がなく、感情が読み取れない。 磨きぬかれた刀身に吸い込まれるような視線を落していた男が、踊るような優雅な動作で、右手に剣を構えた。 店の蛍光燈を反射して、刀身がギラリ、と光る。 如月の背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。 (この男の『気』……刀を圧倒している……) 刀に限らず、絶大な力を持つ武器には、それにまつわる歴史の中で、さまざまな人間たちの『魂』が宿っているものた。 武器に宿る『魂』は、己の所有者になる人物を見極め、選ぶ。 所有者の『気』と、この『魂』が一対となり呼応しなければ、武器の力を最大限に引き出せないばかりか、下手をすれば自らを死地に招く結果になりきれない。 強い武器を望む仲間を、しばしば如月が嗜め、装備させないのもそのためである。 目の前のこの剣は、一週間ほど前、蓬莱寺京一が自分の武器にと望み、如月が「君にはまだ早い」と申し渡したものだった。 だが、この男の『気』は、剣の『魂』と同一、あるいはそれ以上の力を持っていた。 (一体何者なんだ、この男は……?) 相当の剣の使い手か、あるいは人の血を浴び、幾多の修羅場を潜りぬけた者ではない限り、これほどの『気』を練るのは困難だろう。 如月は、素直に男の持つ力に驚嘆した。 「これは幾らになる?」 太刀を鞘へ収め、不意に男が訊いてきた。 『気』に圧倒されていた如月は、自分を取り戻すのにしばしの時間を要する。 「気に入りましたか?」 「ああ」 男は薄く笑い、頷く。 如月が金額を告げると、男は高いとも安いとも文句を付けず「貰おう」と一言だけ云って、財布の中から札束を引き出した。 今の世の中では、どんな銘刀とはいえ、床の間かどこかに鑑賞用として飾られる用途以外は使い道がないが、たとえ使われないとしても、こういう持ち主に買われていったのならば、この太刀も喜ぶだろう。 「ありがとうございます」 いい商売をしたと頭を下げて男を見送り、骨董屋の若い主人は、晴れやかな顔でいそいそと店の戸締まりをし始めた。 * そんなことがあってから、一週間後のことである。 いつものように店番をしていた如月の店に、騒がしい客が訪れた。 客は遠慮とか慎ましやかとかいう言葉からは全く無縁の青年で、立てつけの悪い店の扉を力任せにバタンと開けて中へと入ってきた。 如月は眉をしかめて相手を注意する。 「蓬莱寺、頼むから、戸はもう少しゆっくり閉めてくれないか」 だが相手はそんな声は全く耳に入っていないのだろう。荒い息のまま若主人の方まで飛んできて、木刀を持った手でドン、とカウンターを叩いた。 「如月ッ! てめェ、一体どういうことだッ!?」 どういうことだとはどういうことだ。 相手はどうやら怒っているらしいのだが、何日も話しすらしていない相手に怒鳴られるようなことはした覚えがない。 「何が?」 と冷たく問い返すと、 「前に、俺が買うって云っといた刀、売っぱらっただろ!?」 と蓬莱寺は喚いた。 刀、と聞いて、それから約十秒ほど考えて、如月はようやく思い当たった。 この前、たしか男が買っていった、あの太刀のことだ。 「そういえば、あの刀は君が取り置きを頼んでいたものだったか」 「ああ、そうだよっ」 「そう言うけど、君は前金を払ってちゃんと予約しなかっただろう? それで欲しいという人が居たんだからその人を優先させただけで、僕に怒るのは筋違いだと思うんだけどね」 骨董は、モノによってはかなりの高値がつく。代金をすぐに用意できない客のために、如月骨董店には取り置きというサービスがあるのだが、きちんと一定額の前金を払って書類を取り交わさない限り、契約したことにはならない。 「だからってよ、友達が頼んでおいたのをだなッ」 「僕は自分の生活のために、商売でこの店をやってるんだ。君の我侭な理屈を押し通さないでくれないか」 きっぱりとそう言いきられ、蓬莱寺は返す言葉がない。 それで自分の行動を反省したのか、照れたような顔になった。 「そうだよな、悪かったよ。すまねぇ」 沸点も低いが、冷めるのも早い。それが蓬莱寺の良いところでもあり、欠点でもある。 如月は先程の鉄面皮を外して、柔和な笑いを浮かべ、台詞を付け足した。 「次の入荷で良い刀が入ったら真っ先に君に知らせるよ」 「おう、頼んだぜッ」 蓬莱寺はもう上機嫌になっている。 (うらやましいくらいに単純だな、まったく) などと、如月が胸の内でそう付け足したことなど、知る良しも無く。 * それからさらに数日後のことである。 「如月、さっきの戦闘中、あんまり集中していないみたいだったけど、なにか気になることでもあったのか?」 戦闘が終わり、一息ついたところで、そんな緋勇龍麻の問いが如月に飛んだ。 「あの、蓬莱寺の刀が……」 汗を拭いながら、如月はぽつりと呟くと、「京一の刀?」と、今気付いたと言うように、緋勇は蓬莱寺の方に視線を投げた。 「ああ、そういや、新しいのになってるなぁ。旧校舎ででも見つけてきたのかな?」 それがどうかしたのか? と、緋勇が首をかしげた。武器や防具が新しくなっていることなど、日常茶飯事だ。彼にとっては、いちいち気にしてなどいられないと云った感じなのだろう。 最も、如月にとっても、普通ならそんなことなど、別段珍しいことでも何でもないことである。 そう、普通なら……。 如月は、緋勇の肩ごしに再び蓬莱寺の方へ視線を投げ、今度こそ確信した。 (やはりそうだ) 気のせいでは無い。 あれは如月が先日、自分の骨董屋で、白衣の男が買っていったあの刀だった。 柄や鞘の傷の状態が全く同一のものだ。売る前にきちんと自分がチェックしたのだから、絶対に、見間違えるはずがない。 「それがどうかしたのか、如月?」 不思議そうな緋勇に、あわてて如月は首を横に振った。 「いっ、いや、別に……」 緋勇の言葉をそう否定したものの、如月の心臓は先程の戦闘のせいではなく、バクバクと波打っている。 (どうして、あの男が買っていった刀を、蓬莱寺が持っているんだ?) 常識的に考えれば、男と蓬莱寺が知合いで譲ってもらった、というのが妥当だが、かなり質の良い太刀一本の値段はかなりの額だ。 大体、今どきの太刀の収集というのは鑑賞が主で、何かを切るために使用することなどありえない。 たとえば、百歩譲って蓬莱寺へ引き渡したとしても、戦闘によって、ひょっとしたら刃を欠けたり折れたりするような事態を引き起こすことなどを許すことは考えにくい。大体、そうしたら太刀の価値は十分の一以下にも下がってしまう (ということは、あの男は、僕たちがこの東京を守るために戦っているということを知っている人物だったのか?) 数週間前にたった一度しか見たことのない男の容姿は、すでに記憶の片隅から消えかけようとしている。 だが、過去に一度たりとて、如月が見たことのない顔だったことは断言できる。 (僕が知っている知らないはともかく、こういうものを譲りうけるくらいの関係が、蓬莱寺とあの男との間にはあるということよな? そうだ、そういえばこの前、蓬莱寺が店に来た時、商品を見もせずに『自分の予約しておいた刀を他人が買っていった』と言い出したことからして怪しい。一体どういう繋がりがあるんだ!?) さまざまな疑問が渦巻き、如月は、彼らしくなく頭をかかえた。 この疑惑が解明する日は近いのか遠いのか……。 それは、神のみぞ知ることであった。 |
Web初掲載:2000/06/08 |