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 !  必 読 事 項





犬神/京一
執筆:ナツ
スクロールする前に必ず ココ を読んでね。

秘め事

 授業の開始を告げるチャイムは、五分ほどまえに鳴り終わっていた。
 休み時間の喧騒が嘘のように引いた廊下には、足音がよく響く。
 窓の向こうには抜けるような青空が広がり、うららかな日射しが満ちている。
 十二月の半ばだといのが、嘘のように温かい日だ。
 幸いにして、俺は六時間目までは授業がない。こういう日は、屋上でゆったりと昼寝をするに限る。
 そんなささやかな計画をたてながら廊下を歩いていた俺は、3−Cの教室の前で、ふと足を止めた。
「……?」
 ガラス越しに見た教室の中には、一人の男子生徒の姿があった。
 誰もいない教室の机……それもストーブのそばの特等席……を3つほどつなげ、その上で堂々と横になっている。
 学ランを毛布がわりに掛け、俺の方に背中を向ける形で寝ていたが、色素の薄い茶色の髪と、彼のそばに置かれた木刀を包む細長い袋で、その人物は確定できる。
 蓬莱寺京一だ。
「何をやっているんだあいつは……」
 心底呆れた。
 俺は思わず声に出してそう呟く。
 黒板の上に張られてある時間割を見ると、3−Cの現在の時間割は、体育だ。
 なにを考えなくても、サボリだろう。
 せめて目立たない所で寝るなら寝ろ……と少々的外れなことを思いながら、俺は教室の扉を開けた。
 気配を殺して近づき、俺は机の端に腰を下ろす。
 掛けていた学生服の襟元の刺繍に、ふと目がいった。
『醍醐雄矢』
 蓬莱寺のものにしては妙に丈が長いと思ったが、どうやらそのその想像ははずれてはいなかったようだ。
 大方、体育着に着替えるために脱いであったものを蓬莱寺が無断借用しているのだろう。
 こうして見ると、蓬莱寺の顔の作りは整っている方だ。幼さの残った輪郭は、こうして目を閉じていると一層強調される。
 この男の実体を知らない後輩の女生徒に人気がある、という遠野の言葉も頷ける。
 ちなみに、同学年の女生徒からは、色恋沙汰ではなく、もっぱらからかいのタネになっていることが多い。その理由に、そろそろ本人が思いあたってもよさそうなものなのだが。
 それにしてもこの男は、夜にちゃんと寝ているのかと問いただしたい位に熟睡している。
 まったく、こちらまで平和ボケしそうな顔だ。
 叩き起こして説教でもしてやろうかと思ったが、何となく気が抜けた。
 今日のところは見逃してやるか……と腰を上げたとたん、俺はいやな匂いをかいだ。
 怒りで表情が凍てつくのが、自分でも分かった。
「……おまえたちの住処で大人しくうろついていればいいものを……」
 低く、俺は「それ」に向かって呟いた。
 その声に呼応するように、机の下からぬうっと「それ」が顔を出した。
 陰気が固まって出来た、魔物。
 額の角に深紅の身体……近いイメージは「鬼」だろうか。
 俺を見て、キィッキィッと耳障りな笑い声を立てる。
 吸盤のような手がうごめき、そいつは机の上に這い上がった。
 掌に収まる程度の大きさだ。大した獲物ではない。
≪ナカマ…≫
 魔物の言葉を発した唇が吊り上り、金色の細長い目が、半月を描く。
 それはまぎれもなく、自分と同じ種類の生き物に寄せる、本能的な親愛の動作だった。
「……去れ」
 感情を押さえた声で、俺はそう命令した。
 鬼はその言葉が理解できないのか、媚びるような笑みを崩さずに不思議そうに首をかしげると、また耳障りな笑い声を立てる。
≪オマエ……オレノナカマ≫
 そいつが、蓬莱寺の肩に手を掛けた。
 ……瞬間、俺はその獣の身体を手で捕まえる。
 ギヤァ、という短い悲鳴が上がった。
 俺はゆっくりと、掌に陽気の塊を送り込む。
「領域を犯すな……失せろ……」
 ギィィィィアァァ……という断末魔の悲鳴を残して、小鬼は俺の手の中で形を失い、消え去った。
 その断末魔が、ウラギリモノと俺を罵っているようで、頭痛が始まる。
 黄龍光臨のきざしのせいだろうか……旧校舎に閉じ込めた陰気のバランスが崩れはじめているようだ。
 不安定な気に引かれて、昼間に跋扈する魔物の数が徐々に増えている。
 だが、昼は人の領域。我々魔物は夜の闇に住むべきもの。それが、我々が滅びない為の、暗黙のルールだ。
 しかし……そう……あんな小物をむきになって消し去ることははなかったのだ。
 俺は感情に先走った己に苦笑した。
 俺は側に転がっていたルーズリーフの一枚を抜き取り、それに呪を書いた。
 簡易なもので実戦では使い物にならないが、蓬莱寺の寝ている机3つ分くらいなら一時間程度の結界にはなってくれるだろう。
 札に気を込めてから、机の中に入れる。
 蓬莱寺の規則的な寝息は、全く変化する気配もなかった。
「全く……」
 何を用心しているのか知らんが、ここまで熟睡しているところを見ると、こうして肌身はなさず持っている木刀は役に立つことはないんだろうな。
 そんなことを思いながら、光に透ける赤い髪に指を絡ませると、それは思ったよりも柔らかく、さらさらとしていて、溶けるようにほどけ落ちていく。
 それに吸い込まれるようにして……気が付けば俺はその額に、触れるか触れないかくらいの距離で唇を押しあてていた。
 考えるより先に、身体が動いていた。

 そして……。
「        」
 呟いたのは、短い……たったひとことの言葉。
 だが、それは決して相手に知られてはいけない言葉。
 心の奥底に……沈め、秘めておくべき言葉。

 まったく、どうにかしている。
 変化のない日常の時間から切り離された心が、異次元を浮遊しているような感覚だ。
 こういう感情とは……無縁のはずだったのだが。
 いや……違うか……あまりにも長いこと忘れていたせいで、脳がそれをコントロールするのに、かなりの時間を要するのだ。
 俺は、長い……長い溜息をついた。
 無性に、煙草の味が恋しくなる。
 俺は足音を殺して教室を出、屋上へ向かう足を急がせた。
 退屈に埋もれていく他愛ない日常に、己自身を同化させるために。

 了

Web初掲載:1999/11/12
Web再掲載:2002/10/10


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